福島武道館40周年及び追分範道歴50周年

合気道福島連盟会長、合気道福島武道館館長追分拓哉師範の合気道福島武道館40周年、追分拓哉師範道歴50周年祝賀会が福島市のサンパレス福島で9月13日(日)正午から行われました。合氣道の仲間90名、人生の恩師、仕事関係者、親友達200名近い人達を集めて開催されました。私達夫妻は主賓として招かれ光栄でした。
追分師範の合気道に対する思いを伝えるDVD,自分で作詞した歌で、合氣道を知らない人達にも自分が修業している合気道の良さと青少年に合氣道で培う精神や体を鍛える大切さを理解させてくれました。本業が酒屋ですので、最高なお酒、ワインそしてシャンペンを惜しげもなく出してくれました。皆さん気分よく酔う事が出来ました。

お祝いの席で欠かせない「鏡割」ではなく、「シャンパンサーベル」と云う儀式、シャンパンのビンをサーベルで切る儀式は私達殆どの人が初めてなので興味を持ちました。彼の奥さんが日本で女性初のワインのソムリエです。解説によると英国海軍が戦争に行く時の儀式だそうです。

合気道福武道館館長追分拓哉師範が道歴50年の自分の思いを歌にしてくれました。
ひたむきに歩いて来た道は
つまづきながら だから今がある
毎日学ぶ事だらけ 人の流れを受け止めて
心で決めた思いを一途に
続ける事は大変だけど思いを一途に
乗り越えて行く試練のみちしるべに
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しなやかにやわらかい
道を求めて歩いてきた
流れに乗って身体が動く
魂に合気を込めて
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積み上げて来た掛け替えのない
心ずっと未来え伝えたい

歌詞は全部書ききれません。見たい方は福島武道館のホームページで見て下さい。作曲、歌 プロ歌手 門馬よし彦氏 でCDにも成っています。

私と追分拓哉師範との出会いは50年前に、私が創設した明治大学合気道部に彼が入部して来た時から始まります。武道好きで合気道部の稽古の他に居合道、空手等の武道をして来ました。彼が幹部の時に同好会から体育会合気道部に昇格させてくれました。私は小平の自宅に昭和44年(1969年)年4月に合気道小平小林道場の道場開きにも羽織袴姿で参加してくれています。

追分OBは卒業後福島市の実家の酒、八百屋店を手伝いながら、当時まだ合気道の稽古場所が福島市に無かったので空手、居合道等をしていました。追分OBは新婚旅行で上京の折、嫁さんを連れて京王線明大前の校舎の朝の寒稽古に現れました。これが彼の人生の転機に成りました。稽古終了後の雑談で彼の店の2階が麻雀屋なのを知りました。私が麻雀屋を辞めて合気道の稽古場にしたらと提案しました。私の道場に高校の柔道部に畳を納めに行ったら断られたと云う畳屋から当時でも破格な一枚1000円の畳50枚買った畳が有りましたので取に来れば提供するからと提案しました。

何日か後、追分OBから電話が有りました。「麻雀屋を辞めて合気道の道場にします。先生の道場で余っている畳18枚取に行きます。道場の名前はどうしますか?」「福島県に武道館あるのか?」「有りません」「道場の名前は合気道福島武道館にしろ」で名前が決まりました。18畳の道場から3年後には東北で初めて50畳の合気道専門道場になりました。

あれから40年「合気道福島武道館」は続いています。店の倒産の危機、館長の突然の病気等で道場は何回も存続の危機が有りました。合気道を愛する追分館長気持ちを家族の理解、追分館長を慕い手助けする弟子達の協力により乗り越えてきました。東北大震災の時には企業家として、困っている人達に莫大な食糧、水等を提供されたそうです。困難を乗り越え福島県合気道連盟会長として福島県を纏めるだけではなく、東北合気道連盟の役員として合気道発展に努力されています。

ちなみに福島武道館の看板は私が書きました。

今後も是非研鑽して家族を大切にしながら、合気道界、実業界でも活躍して下さい。